箱根の山は天下の険の歌詞と意味!函谷関や2番も解説
「箱根の山は天下の険」という力強い冒頭のフレーズ、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。しかし、その続きの歌詞をすべて歌えるか、あるいはそこに込められた深い意味まで理解しているかと問われると、自信がないという方がほとんどかもしれません。実はこの「箱根八里」という名曲には1番だけでなく2番まであり、それぞれに江戸の武士と明治の男たちの精神が対比的に描かれています。学校の音楽の授業で歌ったけれど、函谷関や蜀の桟道といった難しい言葉の意味がわからず、ただ音として覚えていたという方も多いはずです。また、一夫関に当たるやという独特の言い回しや、羊腸の小径といったリアルすぎる情景描写も、その背景を知ることで箱根の景色がまったく違って見えてくるのです。作曲者の滝廉太郎や作詞者の鳥居忱がこの曲に込めたメッセージ、そして剛毅な武士たちの姿とはどのようなものだったのでしょうか。今回は箱根への旅行や歴史探訪がもっと味わい深くなるよう、ひらがな付きで歌詞を丁寧に解説しながら、わかりやすい現代語訳も交えてご紹介します。
- 歌詞の全文とひらがな読み
- 函谷関や蜀の桟道など難解語句の意味
- 1番と2番の現代語訳と対比構造
- 当時の箱根越えのリアルな過酷さ
箱根の山は天下の険の歌詞と意味を徹底解説
ここでは、明治34年に発表された唱歌「箱根八里」の歌詞を一語一句、細かく紐解いていきます。まずは漢字とひらがなを合わせた全文を確認し、歌詞の中に登場する現代人には馴染みの薄い言葉の意味や、そこに描かれた情景を深く掘り下げてみましょう。単なる言葉の羅列ではなく、当時の人々が抱いた「箱根」への畏敬の念が見えてくるはずです。
1番と2番の全文をひらがな付きで紹介
「箱根八里」は、明治34年(1901年)に出版された『中学唱歌』に掲載された楽曲です。4分の4拍子の行進曲風の勇壮なリズムと、漢詩調の格調高い歌詞が見事に融合しており、日本の近代音楽の黎明期を象徴する名曲です。ここでは、1番と2番の歌詞を、読みやすいようにひらがな付きでご紹介します。特に「嶮(けん)」や「關(かん)」といった旧字体の持つ重厚な響きにも注目してご覧ください。
| 章 | 歌詞(漢字) | 読み方(ひらがな) |
|---|---|---|
| 1番 | 箱根の山は 天下の嶮 函谷關も 物ならず 萬丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支ふ 天下に旅する 剛毅の武士 大刀腰に 足駄がけ 八里の岩根 踏み鳴らす 斯くこそありしか 往時の武士 | はこねのやまは てんかのけん かんこくかんも ものならず ばんじょうのやま せんじんのたに まえにそびえ しりえにさそう てんかにたびする ごうきのもののふ だいとうこしに あしだがけ はちりのいわね ふみならす かくこそありしか おうじのもののふ |
| 2番 | 箱根の山は 天下の阻 蜀の棧道 數ならず 萬丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支ふ 晝猶闇き 杉の並木 羊腸の小徑は 苔滑か 一夫關に當るや 萬夫も開くなし 山野に狩する 剛毅の壯士 獵銃肩に 草鞋がけ 八里の岩根 踏み破る 斯くこそありけれ 近時の壯士 | はこねのやまは てんかのそ しょくのさんどう かずならず ばんじょうのやま せんじんのたに まえにそびえ しりえにさそう ひるなおくらき すぎのなみき ようちょうのこみちは こけなめらか いっぷかんにあたるや ばんぷもひらくなし さんやにかりする ごうきのますらお りょうじゅうかたに わらじがけ はちりのいわね ふみやぶる かくこそありけれ きんじのますらお |
※現代の皆様が読みやすいよう、一部の旧字体を新字体と併記して解説しますが、原詩の雰囲気を感じていただくため、表内では旧字体を使用している箇所があります。
函谷関や蜀の桟道など難解な言葉の意味
歌詞の中には、唐突に中国の地名が登場します。「なぜ日本の箱根を歌っているのに、中国の地名が出てくるの?」と疑問に思う方も多いでしょう。実はこれ、箱根の凄まじさを強調するための「引き合い(比較対象)」として引用されているのです。当時の教養人にとって、中国の古典に出てくる難所は「険しさの象徴」でした。それらを持ち出し、「箱根はそれ以上だ」と誇示しているのです。
函谷関(かんこくかん)とは

横浜で現実逃避作成イメージ
中国・河南省にあった、歴史上極めて有名な関所です。北には黄河が流れ、南には秦嶺山脈が迫る狭い道に位置しており、長安(現在の西安)と洛陽を結ぶ交通の要衝でした。「函谷関も物ならず(ものの数ではない=たいしたことない)」と言い切ることで、箱根の険しさが、中国史上最強の要塞をも凌駕するものであると表現しています。これは日本の国土に対する強烈なプライドの表れとも言えます。
蜀の桟道(しょくのさんどう)とは
『三国志』の劉備玄徳が拠点を置いたことでも知られる「蜀(現在の四川省周辺)」へと続く道です。断崖絶壁に穴をあけ、木の杭を打ち込んで板を渡しただけの、文字通り命がけの道でした。「蜀の桟道 数ならず(比較にならない)」という表現は、落ちれば即死という蜀の道でさえ、箱根の前では問題にならないと言っているのです。
ポイント: これらの言葉は、単に地名を示しているのではなく、「世界的に有名な難所よりも、日本の箱根の方が上である」というナショナリズムの高揚を意図したレトリックなのです。
一夫関に当たるやの意味と中国の故事
2番の歌詞に出てくる「一夫関に当たるや(いっぷかんにあたるや)万夫も開くなし」というフレーズ。リズムに乗せて歌うと非常に気持ちが良い部分ですが、この言葉の出典をご存知でしょうか。
これは、唐の大詩人・李白が書いた『蜀道難(しょくどうなん)』という詩の一節、「一夫当関 万夫莫開(一夫 関に当たれば 万夫も開くことなし)」からの引用です。
意味: 「たった一人の兵士が関所を守れば、一万人の敵が攻めてきても決してこじ開けることはできない」
つまり、それほど地形が険しく、守るに易く攻めるに難い「天然の要害」であることを示しています。箱根の関所は、江戸時代において「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったことで知られていますが、その鉄壁の守りを、李白の詩を借りて格調高く表現しているのです。作詞者の鳥居忱が、いかに漢文学に精通していたかがわかる部分ですね。
羊腸の小径や杉並木の情景描写

横浜で現実逃避作成イメージ
歌詞の中にある風景描写も、文学的な美しさだけでなく、当時の旅人が体験したリアリティが込められています。
昼なお闇き(ひるなおくらき)杉の並木
これは「昼間であっても、まるで夜のように暗い」という意味です。箱根旧街道には、江戸幕府が旅人を夏の日差しや冬の寒風から守るために植えさせた杉並木が現存しています。樹齢350年を超える巨木が頭上を覆い尽くしているため、晴天の真昼であっても林床には光が届かず、薄暗いのです。この静寂と暗さは、一人旅の旅人にとっては心細さや畏敬の念を感じさせるものだったに違いありません。
羊腸の小径(ようちょうのこみち)は苔滑らか
「羊腸」とは、羊のはらわた(腸)のように、ぐねぐねと曲がりくねっている様子のこと。そして、その道は湿気が多く、石畳には苔が生えていて非常に滑りやすくなっています。「苔滑らか(こけなめらか)」という表現は、美しい響きですが、実際にそこを歩く旅人にとっては「転倒の危険がある恐ろしい道」という意味も含んでいます。
剛毅な武士と壮士の対比を解説
を履いて箱根の険しい道を堂々と歩く江戸時代の武士の姿。.jpg)
横浜で現実逃避作成イメージ
この曲の構成上の最大の特徴は、1番と2番で見事な「時代の対比」が描かれていることです。
| 項目 | 1番:昔(江戸時代) | 2番:今(明治時代) |
|---|---|---|
| 主人公 | 往時の武士(もののふ) | 近時の壮士(ますらお) |
| 装備 | 大刀(だいとう) | 猟銃(りょうじゅう) |
| 履物 | 足駄(あしだ) | 草鞋(わらじ) |
| 動作 | 踏み鳴らす | 踏み破る |
1番では、刀を差して高下駄(足駄)で歩く、威厳ある江戸の武士が登場します。対して2番では、明治という新しい時代を迎え、西洋の猟銃を担ぎ、より実用的な草鞋(わらじ)を履いた「壮士(ますらお)」が登場します。
ここで重要なのは、装備や服装が変わっても、困難な山道に挑む「剛毅(意志が強く、何事にも屈しないこと)」な精神は変わっていないという点です。「踏み鳴らす」から「踏み破る」へと、よりダイナミックな表現に変化していることからも、明治の人々が持っていた「新しい時代を切り拓くエネルギー」を感じ取ることができます。
箱根の山は天下の険の歌詞現代語訳と歴史背景
言葉の意味がわかったところで、歌詞全体を通して何を言っているのか、現代語訳をしてストーリーを繋げてみましょう。また、実際に箱根の山がどれくらい険しいのか、地理的なデータや作者の背景も交えて解説します。これを知れば、箱根への旅が単なる観光から「歴史の追体験」へと変わるはずです。
1番の現代語訳で知る昔の箱根の姿
まずは1番、江戸時代の武士たちの姿を描いたパートです。当時の情景を思い浮かべながら読んでみてください。
【1番の現代語訳】 箱根の山は、日本中(天下)を探してもこれほど険しい場所はない。 あの中国の歴史に名高い難所『函谷関』でさえも、この箱根に比べれば物の数ではない(たいしたことはない)。 見上げるほど高い山(万丈の山)と、底知れぬ深い谷(千仞の谷)が、 行く手には壁のようにそびえ立ち、背後からは迫るように支えている。 この天下の難所を旅する、意志の強くくじけない武士(もののふ)たちは、 腰に大刀を差し、素足に高下駄(足駄)を履いて、 八里(約32km)にも及ぶ岩だらけの険しい道を、カランコロンと高らかに踏み鳴らして歩いていく。 昔の武士の姿は、まさにこのように堂々たるものであったのだろう。
「踏み鳴らす」という表現から、当時の武士たちが困難な道にあっても姿勢を正し、音を立てて歩くほどの余裕と気概を持っていたことが伝わってきます。
2番の現代語訳に見る明治の時代精神
続いて2番、明治時代の新しい男たちを描いたパートです。ここでは文明開化の音が聞こえてくるようです。
【2番の現代語訳】 箱根の山は、天下に名高い通りにくい場所(険阻な地)である。 『三国志』で知られる天然の要害『蜀の桟道』でさえ、箱根に比べれば問題にならない。 高い山と深い谷が前後を塞いでいる。 昼間でさえ太陽の光が届かず、薄暗い杉並木。 羊のはらわたのように曲がりくねった細い小道は、苔が生えていて滑りやすい。 『一人の兵士が関所を守れば、一万人の敵が来ても決して破ることはできない』と言われるほどの要害である。 そんな山野で狩りをする、現代(明治時代)の勇ましい男たち(壮士・ますらお)は、 肩に最新の猟銃を担ぎ、山歩きに適した草鞋(わらじ)を履いて、 八里の岩場を力強く踏み破るように進んでいく。 今の世の男たちも、かくあってほしいものだ(また、実際にそうであることだ)。
2番では「踏み破る」という言葉が使われています。これは単に歩くというだけでなく、困難を打ち砕いて前進するという、明治という時代の攻撃的で前向きな姿勢を象徴していると言えるでしょう。
作者の鳥居忱と滝廉太郎の意図とは

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この名曲を生み出した二人の作者についても触れておきましょう。作詞を担当した鳥居忱(とりい まこと)は、安政年間に生まれた人物で、そのルーツは徳川家康の忠臣・鳥居元忠にあります。彼は生粋の「武士の末裔」でした。だからこそ、歌詞の中に「剛毅」「武士(もののふ)」「一夫関に当たるや」といった、武士としての誇りやアイデンティティを感じさせる言葉を散りばめたのです。彼はこの歌を通じて、明治の青少年に「日本人としての気概」を伝えようとしました。
一方、作曲の滝廉太郎は、「荒城の月」や「花」で知られる日本を代表する天才作曲家です。この曲では、付点音符(タッ・タッ・タッ・タッ)を多用した行進曲風のリズムを採用し、険しい山道を重い足取りで、しかし一歩一歩確実に登っていく様子を音楽的に表現しています。彼はこの曲が発表された直後にドイツへ留学しますが、わずか2ヶ月で結核を発症し、帰国後23歳という若さでこの世を去りました。「箱根八里」は、彼の短くも鮮烈な音楽人生における絶頂期の傑作なのです。
箱根八里の距離と実際の険しさを検証
「天下の険」と歌われていますが、実際の箱根八里はどれほど過酷な道なのでしょうか。物理的なデータからその厳しさを検証してみます。
- 区間:旧東海道の小田原(早川口)から、箱根峠を越えて三島宿に至る道。
- 距離:約32km(8里)。
- 標高差:小田原(海抜約20m)から箱根峠(標高846m)まで、約820mを一気に登ります。
平均勾配は約6.5%と言われていますが、場所によっては「七曲り」や「猿滑り」と呼ばれる、壁のように感じる急坂も存在します。現代のように舗装されておらず、ゴツゴツとした石畳やぬかるんだ土の道だったことを考えると、その過酷さは想像を絶します。現代のハイカーでも、しっかりとした登山装備で丸一日かかるコースです。これを「足駄」や「草鞋」で、しかも重い荷物や刀を持って踏破していた昔の人々の体力は、まさに「剛毅」そのものです。
ちなみに、現代ではこの険しい道のりを家族連れでも快適に楽しむことができます。以前私が調査した「箱根フリーパスはお得か?」を検証した記事でも触れましたが、登山バスやロープウェイを使えば、かつての難所も絶景スポットへと早変わりします。また、小さなお子様連れの方は、「箱根を子連れで楽しむためのガイド記事」も参考にしてみてください。
なお、箱根旧街道の石畳は、国の史跡として指定されています。その歴史的価値については、以下の公的な資料でも詳しく確認できます。
(出典:文化庁 日本遺産ポータルサイト『箱根旧街道(石畳)』)
箱根の山は天下の険の歌詞から学ぶこと
「箱根の山は天下の険」の歌詞を深く読み解いていくと、それが単なる「箱根の観光ガイドソング」ではないことがわかります。厳しい自然環境を、己の足と精神力で乗り越えていく。時代が変わっても、道具が変わっても、その根底にある「困難に立ち向かう強さ」は変わらない。この歌は、そんな日本人の精神性を高らかに歌い上げた「人生の応援歌」なのかもしれません。
次に箱根を訪れる際は、ただ温泉に浸かるだけでなく、石畳の道を少しだけでも歩いてみてください。そして、この歌詞を口ずさんでみてください。鬱蒼とした杉並木の向こうに、かつてそこを歩いた武士や旅人たちの息遣いと、彼らの「剛毅」な魂を感じることができるはずです。それはきっと、現代を生きる私たちにとっても、大きな力の源となる体験になるでしょう。
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