横浜観光 消えた観光地の記憶をたどる かつて存在した幻の名所たち
かつて確かに存在した、横浜の“もう行けない観光地”とは?
現在の横浜は、みなとみらいや山下公園など整備された都市景観が美しい、国内有数の観光地です。しかし少し時代をさかのぼれば、今では姿を消してしまったテーマパークや娯楽施設、地域のランドマークが数多く存在していたことをご存じでしょうか?
かつて多くの人に愛され、にぎわいを見せたものの、時代の流れや都市開発の波にのまれ、静かに消えていった観光地たち。
本稿では、「横浜観光 消えた観光地」をキーワードに、今はもう訪問できない場所や風景、施設をピックアップし、都市の変遷とともに記憶の中でしか見ることができない横浜の姿をご紹介します。
● 記事のポイント4つ
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横浜の消えた観光地を時系列とともに紹介
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閉鎖・廃止・再開発によって失われた場所を具体的に解説
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現在との比較や、思い出をたどる方法も紹介
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地元民にも懐かしい“幻の観光地”を多角的に取り上げる
横浜観光 消えた観光地を巡る追憶の旅
【横浜ドリームランド】幻の遊園地リゾート(1964年〜2002年)
横浜市戸塚区にかつて存在した「横浜ドリームランド」は、1964年に開園した国内初の本格テーマパーク。ディズニーランドの開園よりも前に登場し、巨大な観覧車、ジェットコースター、プール、ホテルを完備した“総合リゾート型遊園地”として、関東圏の家族連れを中心に大人気でした。
しかし交通アクセスの不便さ、経営不振、老朽化などが重なり、2002年に惜しまれつつ閉園。現在は「横浜薬科大学」が敷地の大半を利用しています。
【YES’89 横浜博覧会】わずか半年で消えた未来都市(1989年)
1989年、横浜開港130周年を記念して開催された「YES’89(横浜博覧会)」は、みなとみらい地区の埋立地を使用して開催された大型イベント。
パビリオンのほとんどは仮設で、会期終了後には撤去。現在のランドマークタワーやクイーンズスクエア、パシフィコ横浜などの礎となりました。
【本牧ピア・本牧フェリー埠頭】かつての海上玄関口
かつて本牧ふ頭には、東京方面とを結ぶフェリーや「本牧ピア」という商業施設が存在していました。90年代に閉鎖され、現在はふ頭・公園・物流施設として再利用されています。
📍施設跡地は神奈川県横浜市中区本牧ふ頭周辺
【野毛山ローラー滑り台】
現在も営業している野毛山動物園の近くには、かつてローラー滑り台が設置されていました。安全基準の見直しと老朽化により撤去され、現在は芝生広場となっています。
【海の公園南側のレトロ遊具群】
金沢八景の「海の公園」南側には、かつてバネ遊具や回転遊具、アスレチック風の遊具が配置された遊び場がありました。2020年以降に順次撤去され、現在はピクニック広場として整備されています。
🔗 横浜市|海の公園
【横浜美術館の前身展示エリア】
美術館開館前のみなとみらいには、仮設の展示場やパビリオンが並んでおり、現在の近代的な都市景観とはまったく違う姿がありました。みなとみらいの整備とともにこれらはすべて姿を消しました。
横浜観光 消えた観光地を知ることで広がる“もうひとつの旅”
なぜ観光地は消えてしまうのか?
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都市開発・再開発
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時代のニーズの変化
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インフラ整備による影響
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運営側の経営課題や安全基準変更
都市の進化とともに、観光地もまた“生き物”のように変わっていきます。
消えた観光地が与えてくれる学び
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地元民の思い出とともに観光地が記憶に残る
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観光は「今ここにある場所」だけではない
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歴史をたどる旅は、未来の観光のヒントにもなる
横浜観光 消えた観光地:まとめ
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消えた観光地は“都市の記憶”を伝える存在
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今の横浜がどのように形づくられたかを知る手がかりになる
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記憶と記録をもとに「もう一つの横浜観光」を楽しめる
次に横浜を歩くとき、あなたの地図の中には“もう消えた観光地”も描かれているかもしれません。記憶とともに歩くことで、より深く横浜を味わえる旅がはじまります。