「箱根の山は天下の険、函谷関も物ならず」という有名な歌詞は、唱歌『箱根八里(はこねはちり)』の冒頭です。
簡単に意味をいうと、「箱根の山は天下に名高い険しい難所で、中国の函谷関さえ比べものにならない」という、箱根の険しさを非常に大きく表現した言葉です。
しかし、『箱根八里』の歌詞を最後まで読んでみると、「函谷関」「蜀の桟道」「羊腸の小径」「一夫関に当るや」など、現在では意味が分かりにくい言葉が次々に登場します。
さらに、この歌には「昔の箱根」を歌った1番と「今の箱根」を歌った2番があり、江戸時代の武士と明治時代の壮士を対比させる構成になっています。
この記事の結論
- 「箱根の山は天下の険」は、箱根が非常に険しい難所であることをたたえた表現
- 『箱根八里』は1901年(明治34年)に『中学唱歌』へ掲載された唱歌
- 作詞は鳥居忱(とりい まこと)、作曲は瀧廉太郎
- 1番は「昔の武士」、2番は「明治の壮士」を描いている
- 函谷関・蜀の桟道・李白の漢詩など、中国古典を思わせる表現が多く使われている
「箱根の山は天下の険」の歌詞と意味を最初に解説
まず、検索している方が最も知りたい冒頭部分から意味を確認してみましょう。
箱根の山は 天下の険
函谷関も 物ならず
意味:
箱根の山は天下に名高い非常に険しい難所で、中国の有名な難所・函谷関でさえ、箱根と比べれば問題にならないほどだ。
ここでの「天下」は、現在でいう「世界中」というより、広く世の中・国中というニュアンスです。
また「物ならず」は「物ではない」という意味ではありません。古い日本語で「問題にならない」「たいしたことではない」という意味です。
つまり「函谷関より本当に箱根のほうが険しい」という地理的な比較をしているというよりも、中国古典で知られる有名な難所を引き合いに出し、箱根の険しさを大げさなほど力強く表現した修辞と考えると分かりやすいでしょう。
箱根八里の歌詞全文|1番・2番を読み方付きで紹介
『箱根八里』は1901年(明治34年)に発表された唱歌で、作詞は鳥居忱(とりい まこと)、作曲は瀧廉太郎です。
現在一般的に「1番・2番」と呼ばれていますが、資料によっては「第一章 昔の箱根」「第二章 今の箱根」と表記されています。
※表記には資料によって旧字体・新字体などの違いがあります。ここでは読みやすさを優先し、新字体を基本として掲載しています。
1番「昔の箱根」の歌詞と読み方
| 歌詞 | 読み方 |
|---|---|
| 箱根の山は 天下の険 | はこねのやまは てんかのけん |
| 函谷関も 物ならず | かんこくかんも ものならず |
| 万丈の山 千仞の谷 | ばんじょうのやま せんじんのたに |
| 前に聳え 後に支う | まえにそびえ しりえにさそう |
| 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす | くもはやまをめぐり きりはたにをとざす |
| 昼猶闇き 杉の並木 | ひるなおくらき すぎのなみき |
| 羊腸の小径は 苔滑か | ようちょうのしょうけいは こけなめらか |
| 一夫関に当るや 万夫も開くなし | いっぷかんにあたるや ばんぷもひらくなし |
| 天下に旅する 剛毅の武士 | てんかにたびする ごうきのもののふ |
| 大刀腰に 足駄がけ | だいとうこしに あしだがけ |
| 八里の岩根 踏み鳴らす | はちりのいわね ふみならす |
| 斯くこそありしか 往時の武士 | かくこそありしか おうじのもののふ |
2番「今の箱根」の歌詞と読み方
| 歌詞 | 読み方 |
|---|---|
| 箱根の山は 天下の阻 | はこねのやまは てんかのそ |
| 蜀の桟道 数ならず | しょくのさんどう かずならず |
| 万丈の山 千仞の谷 | ばんじょうのやま せんじんのたに |
| 前に聳え 後に支う | まえにそびえ しりえにさそう |
| 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす | くもはやまをめぐり きりはたにをとざす |
| 昼猶闇き 杉の並木 | ひるなおくらき すぎのなみき |
| 羊腸の小径は 苔滑か | ようちょうのしょうけいは こけなめらか |
| 一夫関に当るや 万夫も開くなし | いっぷかんにあたるや ばんぷもひらくなし |
| 山野に狩する 剛毅の壮士 | さんやにかりする ごうきのますらお |
| 猟銃肩に 草鞋がけ | りょうじゅうかたに わらじがけ |
| 八里の岩根 踏み破る | はちりのいわね ふみやぶる |
| 斯くこそありけれ 近時の壮士 | かくこそありけれ きんじのますらお |
特に注意したいのが、「雲は山をめぐり、霧は谷をとざす」から「一夫関に当るや、万夫も開くなし」までの部分は、1番・2番の両方に登場することです。
箱根八里の難しい歌詞の意味をわかりやすく解説
『箱根八里』が難しく感じられる最大の理由は、日常生活ではほとんど使われなくなった漢語や、中国古典を思わせる表現が多いことです。
重要な言葉を一つずつ見ていきましょう。
| 歌詞 | 意味 |
|---|---|
| 天下の険 | 世に名高い険しい場所・難所 |
| 物ならず | 問題にならない、たいしたことではない |
| 万丈の山 | 非常に高い山を誇張して表した言葉 |
| 千仞の谷 | 非常に深い谷を誇張して表した言葉 |
| 天下の阻 | 非常に通行しにくい険阻な場所 |
| 羊腸 | 羊の腸のように曲がりくねっている様子 |
| 剛毅 | 意志が強く、困難にも屈しないこと |
| 往時 | 昔、過ぎ去った時代 |
| 近時 | 近頃、現在に近い時代 |
函谷関(かんこくかん)とは?

横浜で現実逃避作成イメージ
函谷関(かんこくかん)は、中国の歴史上よく知られた関所です。
古代中国の交通・軍事上の重要地点として知られ、険しい地形に囲まれた要害の象徴として、中国の歴史や文学にもたびたび登場します。
『箱根八里』では、
「函谷関も物ならず」=あの有名な函谷関でさえ箱根に比べれば問題にならない
と歌っています。
もちろん、箱根と函谷関を客観的に比較して「箱根のほうが険しい」と証明しようとしているわけではありません。
中国古典を知る当時の人々にも伝わりやすい有名な難所を持ち出すことで、「それほど箱根はすごい難所なのだ」と印象づける表現です。
蜀の桟道(しょくのさんどう)とは?

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2番には、函谷関に代わって「蜀の桟道」が登場します。
「蜀」は現在の中国・四川省付近を中心とした地域を指す古い呼び名です。
中国内陸部の険しい山岳地帯には、断崖に沿って木材などを使って道を設けた「桟道」があり、古くから危険な山道の象徴として語られてきました。
そのため、
「蜀の桟道 数ならず」=険しいことで有名な蜀の桟道でさえ、箱根と比べれば数に入らない
という意味になります。
「万丈の山・千仞の谷」は本当の高さではない
「万丈」「千仞」と聞くと、実際に何メートルなのか気になるかもしれません。
しかし、ここでは正確な標高や深さを表しているわけではありません。
「万丈の山」は非常に高い山、「千仞の谷」は非常に深い谷という誇張表現です。
前には高い山がそびえ、後ろにも険しい地形が迫る。さらに雲が山を巡り、霧が谷を覆う――。
歌詞は、箱根を旅する人が四方を山と谷に囲まれるような圧迫感を、漢詩調の壮大な言葉で描いています。
一夫関に当るや万夫も開くなしの意味
特に意味が分かりにくいのが、
一夫関に当るや
万夫も開くなし
という部分です。
「一夫」は一人の男、「万夫」は非常に大勢の人という意味です。
この表現は、中国・唐代の詩人李白の『蜀道難(しょくどうなん)』に見られる「一夫 関に当たれば、万夫も開くことなし」という表現を踏まえたものと考えられています。
意味:たった一人が関所を守っているだけでも、大勢の敵が突破できないほど険しい場所である。
つまり、人数の多さではどうにもならないほど、守りやすく攻めにくい険しい地形を表しています。
なお、この部分は2番だけではなく、1番と2番の両方に登場します。
羊腸の小径とは?

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羊腸(ようちょう)とは、文字どおり羊の腸のことです。
腸のように何度も曲がりくねった細い道を「羊腸の小径」と表現しています。
羊腸の小径は 苔滑か
=羊の腸のように曲がりくねった細い道は、苔に覆われ滑らかである。
美しい響きの言葉ですが、旅人の立場から考えれば、曲がりくねった険しい道に苔まで生えているのですから、決して歩きやすい道ではありません。
現在も箱根旧街道には石畳が残っており、江戸時代の旅の雰囲気を感じることができます。
「昼なお闇き杉の並木」は現在にもつながる風景
「昼猶闇き(ひるなおくらき)」とは、昼間であっても暗く感じるほど木々が生い茂っているという意味です。
箱根旧街道には現在も杉並木が残っています。
杉並木は江戸時代、街道を通る旅人を日差しや風雪から守る役割を果たしました。
現在残る杉並木と歌詞を重ねてみると、「昼なお闇き杉の並木」という表現が、単なる想像上の風景ではなく、箱根旧街道の景観と深く結びついていることが分かります。
箱根の山は天下の険|1番の現代語訳
それでは、難しい言葉を現代の日本語に置き換えてみましょう。
【1番「昔の箱根」の現代語訳】
箱根の山は、天下に名高い険しい難所だ。
中国の有名な函谷関でさえ、箱根と比べれば問題にならない。
非常に高い山と、底が見えないほど深い谷。
前には山がそびえ、後ろにも険しい地形が迫っている。
雲は山を取り巻き、霧は谷を閉ざす。
昼間でも暗く感じる杉並木。
曲がりくねった細い道には苔が生えている。
一人が関所を守れば、大勢の人でも突破できないほどの険しい場所だ。
そんな天下の難所を旅する、意志の強い昔の武士たちは、
腰に大刀を差し、足駄を履き、
八里にも及ぶ岩だらけの道を力強く踏み鳴らして進んでいった。
昔の武士とは、まさにこのような人々だったのだ。
1番の主人公は「往時の武士」です。
険しい箱根を前にしてもひるまず、大刀を腰に差し、岩場を「踏み鳴らす」ように進んでいく姿が描かれています。

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箱根の山は天下の険|2番の現代語訳
2番は「今の箱根」。つまり、この歌が作られた明治時代の人物が主人公になります。
【2番「今の箱根」の現代語訳】
箱根の山は、天下に名高い通行困難な場所だ。
中国の険しい道として知られる蜀の桟道でさえ、比べものにならない。
非常に高い山と深い谷があり、
前にも後ろにも険しい地形が迫る。
雲は山を取り巻き、霧は谷を閉ざす。
昼間でも暗い杉並木が続き、
羊の腸のように曲がりくねった細い道には苔が生えている。
一人が関所を守れば、大勢の人でも突破できないほど険しい場所だ。
そんな山野で狩りをする意志の強い現代の壮士は、
肩に猟銃を担ぎ、草鞋を履き、
八里の岩場を踏み破るように力強く進んでいく。
近頃の壮士とは、まさにこのような人々なのである。
1番と大きく違うのは、主人公の装備です。
1番と2番の違い|武士から明治の壮士へ
『箱根八里』の面白さは、険しい箱根の風景だけではありません。
「昔」と「今」をほぼ同じ構造で描いているところに大きな特徴があります。
| 比較 | 1番「昔の箱根」 | 2番「今の箱根」 |
|---|---|---|
| 難所の比較対象 | 函谷関 | 蜀の桟道 |
| 主人公 | 往時の武士 | 近時の壮士 |
| 人物の性格 | 剛毅 | 剛毅 |
| 武器 | 大刀 | 猟銃 |
| 履物 | 足駄 | 草鞋 |
| 八里の進み方 | 踏み鳴らす | 踏み破る |
刀は猟銃へ、足駄は草鞋へと変化しています。
しかし、どちらも「剛毅」と表現されている点は変わりません。
つまり、時代や道具が変化しても、険しい箱根を力強く進んでいく人間のたくましさは共通して描かれています。
特に、1番の「踏み鳴らす」に対して2番では「踏み破る」となっているのが印象的です。
「踏み破る」には、目の前に立ちはだかる険しい山道を押し進んでいくような、より力強い響きがあります。

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箱根八里とはどこからどこまで?実際に約32kmある
歌のタイトルになっている「箱根八里」は、単なる比喩ではありません。
旧東海道の小田原宿から箱根峠を越え、三島宿まで続くおよそ八里の道を指します。
| 区間 | 小田原宿〜箱根峠〜三島宿 |
|---|---|
| 距離 | 約8里(約32km) |
| 箱根峠 | 標高約846m |
| 特徴 | 江戸時代の東海道を代表する難所 |
三島宿付近は標高約25mですが、そこから標高846mの箱根峠まで登り、さらに小田原宿方面へ下っていきます。
現在のような自動車道路も鉄道もない時代、旅人はこの道を自分の足で越えていました。
「天下の険」という表現が誇張を含んでいるとしても、箱根が旧東海道の大きな難所だったこと自体は歴史的な事実です。
箱根旧街道の石畳は現在も残っている
箱根旧街道は当初、雨や雪の際にはひどくぬかるむ道でした。
そこで江戸時代の延宝8年(1680年)に石が敷き詰められ、石畳の街道が整備されました。
現在残る箱根旧街道は国の史跡に指定されており、実際に歩ける場所もあります。
歌詞に登場する、
- 杉の並木
- 曲がりくねった道
- 苔むした石畳
- 険しい坂道
などを知ってから歩くと、『箱根八里』の歌詞がかなり具体的な風景として感じられるでしょう。
(参考:文化庁 日本遺産ポータルサイト「箱根旧街道(石畳)」)
作詞・鳥居忱と作曲・瀧廉太郎

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作詞した鳥居忱とは?
作詞者の鳥居忱(とりい まこと)は、明治期に東京音楽学校で教えた音楽教育者・作詞家です。
壬生藩の鳥居家につながる家に生まれ、東京音楽学校では音楽だけでなく国文学や漢文にも関わりました。
『箱根八里』を読むと、
- 函谷関
- 蜀の桟道
- 万丈
- 千仞
- 一夫関に当るや 万夫も開くなし
など、漢詩・漢文を思わせる言葉が数多く使われています。
この漢文調の格調高い文章が、『箱根八里』ならではの勇壮な雰囲気を作っています。
作曲した瀧廉太郎とは?
作曲した瀧廉太郎は、「荒城の月」「花」などでも知られる日本近代音楽を代表する作曲家です。
『箱根八里』も「荒城の月」と同じ1901年の『中学唱歌』に掲載されました。
瀧廉太郎は同年、西洋音楽を学ぶためドイツへ留学しますが、病気のため翌年帰国。1903年6月29日、23歳の若さで亡くなっています。
短い生涯でしたが、『箱根八里』をはじめ、現在まで歌い継がれる作品を残しました。
「箱根の山は天下の険」を知ってから箱根を歩くと面白い
現在の箱根には、登山電車・バス・ロープウェイ・海賊船などがあり、江戸時代とは比べものにならないほど快適に移動できます。
しかし、少し旧街道へ入れば、石畳や杉並木など、歌が生まれた背景につながる景観を見ることができます。
箱根へ行く前に、まず箱根が神奈川県のどこにあり、どのようなエリアに分かれているのか知りたい方は、箱根はどこの県?地理と観光エリアを解説した記事も参考にしてください。
また、箱根登山電車やロープウェイなどを使って周遊する予定なら、交通費を個別に支払う場合と比較した箱根フリーパスはお得か検証した記事もあります。
箱根湯本まで来たら、旧街道や歴史散策とあわせて温泉街を楽しむのもおすすめです。駅周辺のお店は箱根湯本食べ歩きマップにまとめています。
箱根の山は天下の険についてよくある質問
「箱根の山は天下の険」とはどういう意味ですか?
「箱根の山は、天下に名高い非常に険しい難所だ」という意味です。
続く「函谷関も物ならず」は、中国の有名な難所である函谷関でさえ、箱根と比べれば問題にならないという誇張表現です。
「箱根の山は天下の険」という歌の題名は何ですか?
歌の正式な題名は『箱根八里』です。
1901年(明治34年)に『中学唱歌』へ掲載され、鳥居忱が作詞、瀧廉太郎が作曲しました。
箱根八里は何番までありますか?
大きく2つの章があります。
第一章が「昔の箱根」で江戸時代の武士を描き、第二章が「今の箱根」で明治時代の壮士を描いています。
「一夫関に当るや万夫も開くなし」とはどういう意味ですか?
「一人が関所を守れば、大勢が攻めても突破できないほど険しい場所」という意味です。
中国・唐代の詩人李白の『蜀道難』に見られる表現を踏まえたものと考えられています。
箱根八里は本当に八里ありますか?
はい。旧東海道の小田原宿から箱根峠を越えて三島宿までの区間が約8里、現在の距離にすると約32kmです。
箱根の山は天下の険の歌詞と意味まとめ
最後に、『箱根八里』のポイントをまとめます。
- 「箱根の山は天下の険」は唱歌『箱根八里』の冒頭
- 意味は「箱根は天下に名高い険しい難所」
- 「函谷関も物ならず」は、函谷関さえ問題にならないという誇張表現
- 『箱根八里』は1901年の『中学唱歌』に掲載された
- 作詞は鳥居忱、作曲は瀧廉太郎
- 1番は昔の武士、2番は明治時代の壮士を描いている
- 「一夫関に当るや万夫も開くなし」は1番・2番の両方に登場する
- 箱根八里とは小田原宿〜箱根峠〜三島宿の約32km
- 現在も箱根旧街道には石畳や杉並木が残っている
『箱根八里』は、単に「箱根は険しい」と歌っているだけではありません。
函谷関や蜀の桟道、李白の漢詩を思わせる表現を取り入れながら、霧に閉ざされた谷、深い杉並木、曲がりくねった道、そしてそこを力強く進む人々の姿を描いています。
次に箱根を訪れたときは、温泉や観光施設だけでなく、箱根旧街道の石畳や杉並木にも目を向けてみてください。
「昼なお闇き杉の並木」「羊腸の小径は苔滑か」という歌詞が、100年以上前の言葉ではなく、目の前の箱根の風景として感じられるかもしれません。